JR西日本 雨晴駅Station

雨晴駅は、高岡と氷見を結ぶJR西日本(西日本旅客鉄道)氷見線の駅です。
その昔、京都から東北へ逃亡する源義経が雨宿りをしたという“いい伝え”からつけられた【雨晴】という地名を駅名(本来なら太田駅?)に使われているのは、全国的に珍しいと言われています。
JR雨晴駅待合室に、立山連峰の山々と日の出時刻を記した「立山連峰日の出マップ」が設置されています。撮影に訪れる方々の日の出時間の参考になれば幸いです。また、不定期ですが、写真愛好家の方による写真を展示しております。残念ながら天候の関係で立山連峰を見ることが出来ない場合でも、立山連峰の眺望写真パネルを駅舎横に設置してありますので、記念撮影などにご利用ください。
氷見線の歴史

JR氷見線は、中越鉄道株式会社から国有化によって1920年(大正9年)に国鉄(日本国有鉄道)に買収されました。
1900年の開業時は、高岡駅-伏木駅間の7.34km。島尾駅までの6.28kmが延伸された1912年4月4日に雨晴駅が開業しました。同年9月に氷見駅まで延伸し、現在の城端線と直通運転されており、伏木駅-高岡駅-城端駅間が、「中越線」、伏木駅-氷見駅間が、「氷見軽便鉄道」という名称でした。
その後、高岡駅-氷見駅間が氷見線と改称され、現在は、西日本旅客鉄道(JR西日本)氷見線となっています。また、雨晴駅は、JR西日本が一部の業務のみを委託する、「簡易委託駅」です。
年表
- 1912年(明治45年)4月4日:中越鉄道 伏木駅 - 島尾駅間開通と同時に開業し、旅客及び貨物の取扱を開始する
- 1920年(大正9年)9月1日:中越鉄道の国有化により、鉄道省(国鉄)氷見軽便線の駅となる。当駅は旅客、手荷物、小荷物及び大貨物の取扱を行う
- 1922年(大正11年)9月2日:軽便鉄道法廃止により氷見軽便線を氷見線に改称する
- 1959年(昭和34年)11月1日:営業範囲を改正し、車扱貨物の取扱を廃する
- 1960年(昭和35年)8月1日:営業範囲を改正し、手荷物及び小荷物の配達取扱及び小口扱貨物の取扱を廃する
- 1970年(昭和45年)6月25日:早朝・夜間の窓口を閉鎖し、改札を取り止め
- 1974年(昭和49年)10月1日:営業範囲を改正し、旅客及び荷物を取扱う駅となる
- 1982年(昭和57年)4月1日:営業範囲を改正し、荷物の取扱を廃する
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化によりJR西日本の駅となる
- 1991年(平成3年)7月1日:JR西日本の職員6名の配置を廃し、駅務を地元に委託する
- 2018年(平成30年):春の青春18きっぷのテーマ駅に選ばれ、駅からの風景がポスターやチラシに用いられた
- 2024年(令和6年):概ね5年後を目途にあいの風とやま鉄道へ事業譲渡するという地域公共交通活性化法に基づく城端線・氷見線の鉄道事業再構築実施計画を国土交通省が認定
氷見線の今後
交通大臣は、令和5年10月に施行された改正地域交通法に基づく城端線・氷見線の鉄道事業再構築実施計画について、令和6年2月8日付けで認定を行いました。同計画の認定は、改正法施行後、初めてとなります。
2024年、概ね5年後を目途にあいの風とやま鉄道へ事業譲渡するという地域公共交通活性化法に基づく城端線・氷見線の鉄道事業再構築実施計画を国土交通省が認定。
国土交通大臣は、令和5年12月22日付けで富山県等から申請のあった鉄道事業再構築実施計画について、地域公共交通の活性化及び再生に関する法律第24条第2項に基づき、令和6年2月8日付けで認定を行いました。
国土交通省
実施計画では、現在、第一種鉄道事業者として西日本旅客鉄道株式会社が経営する城端線・氷見線について、計画開始から概ね5年後を目途にあいの風とやま鉄道株式会社に事業譲渡することとされています。また、事業譲渡前には新型車両の導入や交通系IC カードへの対応、譲渡後の増便やパターンダイヤ化に向けた改良等を行うほか、譲渡後には高岡駅において両線の直通運転を行うための駅改良等を行うこととされています。これらが実現すれば、城端線・氷見線の利便性・持続可能性が向上するものとなります。
関連ページ
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