太田雨晴観光協会

臨済宗大本山 國泰寺Kokutaiji temple

臨済宗大本山 國泰寺

国泰寺は北陸路には数少ない臨済禅の道場で、臨済宗國泰寺派の大本山です。
二上山中の草庵から正安年間(1300年頃)摩項山東松寺を創開。後醍醐天皇の勅願所としても名高く、「北陸鎮護第一禅刹特進出世之大道場」として京都南禅寺と同格の勅願所となりました。その時いただいた勅額『護国摩頂山巨山国泰仁王萬年禅寺』から東松寺を改めて国泰寺と称しました。
「後醍醐天皇勅願所 大本山國泰寺」と彫られた石碑を右手に眺め、巨木に覆われたゆるやかな坂道を登りつめると総門があります。『國泰禅寺』とある額は、中国の高泉の書いたものです。左手構に勅使門があります。朝廷の使者を迎えるためのもので、後醍醐天皇をはじめとして、朝廷とのつながりの深さを物語っています。 境内は約一万平方メートルの広さをもち、全域が静かな道場になっています。境内には多聞蔵・鐘楼・観音堂・三門・法堂・方丈・座禅堂・庫裡・天皇殿・開山堂利生塔等の諸伽藍が建ち並んでいます。

歴史的遺産

國泰寺総門

総門には『國泰禅寺』と書かれた額がありますが、これは、中国の高泉の書いたものです。左手構に朝廷の使者を迎えるための勅使門があり、後醍醐天皇をはじめとして、朝廷とのつながりの深さを物語っています。

文化的遺産

國泰寺伽藍

境内は約一万平方メートルの広さをもち、全域が、静かな道場になっています。境内には多聞蔵・鐘楼・観音堂・三門・法堂・方丈・坐禅堂・庫裡・天皇殿・開山堂・利生塔等の諸伽藍が建ち並んでいます。

自然的遺産

國泰寺月泉庭

月泉庭・龍渕池は京都の小川寿一氏の名作。石は開山國師ゆかりの二上山の砂岩。月泉庭中央の巨石は約42トン。庭園の石としては日本一であろうと云われています。つくばいの青石は滋賀県の永源寺石。砂は京都の白川砂。

開山忌

開山 慈雲妙意

國泰寺では毎年6月2・3日、開山禅師(清泉禅師慧日聖光国師 法諱を妙意、道号を慈雲)をしのぶ開山忌が行なわれます。この日は、開山禅師が亡くなられた興国6年(1345)6月3日を偲ぶもので、國泰寺の主な行事である二祖三仏忌の中でもっとも重要な、そして大きな法事です。太田地内の大安寺、辰口寺、至道寺、江雲庵や氷見市の仏心寺、実相寺、弘源寺など、國泰寺の末寺の僧尼はもちろん、壇信徒衆を挙げて行なわれます。当日は、各地より、参詣者、見物人も多数集まり、盛大に執り行われます。

開山禅師は、人々が、とかく他人事の詮索に走り勝ちであることを戒められて「われわれの上には何時一大事がやってくるか知れぬ。ゆえに何よりも大切な事は、自分自身を明らかにし、自己をしっかり把握することである。」とお諭しになられました。
支那の慣例に倣い、日本でも古くから高僧に対して、生前あるいはその死後に天皇から号が贈られる慣わしがありました。「清泉禅師」は生前に南朝の後醍醐天皇から贈られた号であり、「慧日聖光国師」は死後に北朝の光明天皇から贈られた号です。また、「特賜(とくし)」とは、特別に賜ることであり、ここでは、天皇から賜ったことによります。

虚無僧・國泰寺妙音会

國泰寺妙音会開山

開山忌にとりわけ人気を呼んでいるのは、二十数人の虚無僧による尺八の合奏です。般若経に和して奏でられる曲は、宋の普化僧、「張参」の作ったものといわれ、開山禅師の師、「法燈国師」が中国より伝えたもので、國泰寺では、妙音会として残っています。ちなみに、虚無僧とは、南北朝時代、楠正成の孫正儀が僧名を虚無と号し、尺八をもって、天下を流浪し修行と仏道を広めたことが起源であるといわれています。

明治25年、虚無僧尺八の國泰寺妙音会が設立され、法要の時には読経と法竹(尺八)の合奏という独特の習慣があります。低く、腹に響くような枯淡の音色が不思議と読経に調和します。特に6月2、3日の開山忌には全国から20名ほどの虚無僧が集まり、境内に響き渡る妙音は夏の風物詩となっています。なお、國泰寺伝の曲として『鶴の巣籠』、『三谷』、『蓬莱』、『鈴慕』などがあります。

案内

國泰寺公式ホームページ 


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