太田雨晴地区は、雨晴海岸をはじめとした美しい自然と、すばらしい文化と歴史、そして万葉のふるさとでもあります。
ここでは、太田雨晴地区の概要をご紹介します。
太田には、1187年(文治3)、源義経が兄頼朝から追われて、北陸から奥州へ向かう途中、太田を通った時、にわか雨が降ったので、弁慶が岩を(のちの義経岩)持ち上げて、雨が晴れるのを待ったという“いい伝え”があります。その伝説から、氷見線の駅名として【雨晴】と名づけられたと言われています。
中国では、【雨晴】という語句が使用された漢詩が三篇あります。
また、<雨過天青>という五代後週の時、江南省開封府で焼かれたと伝えられる磁器で雨後の空のような青色の磁器があります。
このように、中国では、【雨晴】という言葉が、いい意味で使われています。
“いい伝え”からつけられた【雨晴】という地名を駅名(本来なら太田駅)に使われているのも全国的に珍しいと言われています。