太田の自然・文化・歴史

桜谷古墳群

 二上山の北端に連なって、富山湾を一望できる標高約20〜30mの台地に4世紀〜5世紀にかけて築造された桜谷古墳がある。有磯海に浮かぶ立山連峰や能登半島に続く松太枝浜の眺望は、実に素晴らしく、県内有数の景観である。大正7年(1918)、元諏訪社の神木の老松を堀り出した際に内行花文鏡1面と管玉13個が出土したことから、古墳群の存在が注目され、附近に7基の円墳と2基の前方後円墳が発見された。その後、2基の前方後円墳は国の史跡として指定を受け整備された。桜谷古墳群 空撮
第1号墳は、柄鏡の形状をした前方後円墳である。全長62m・前前方部幅30m・高さ5.45m・後円部35m・高さ7mの規模をもつ。第2号墳は、1号墳とやや形態が異なり、帆立貝の形をした前方後円墳である。全長50m・後円部径33m・高さ6mの規模を有する。1・2号墳とも、内部は末調査であるが、2号墳後円部から紡錘車・石釧が出土している。
地方には希な大型前方後円墳であることや、立地条件の良さから、この地方の有力首長、一説には伊弥頭国造である大河音足尼一族の墓と考えられている。発見当時報告された7基の円墳は、戦時中に食糧増産のため畑地と化し、現在は確認しがたい状況である。昭和40年、41年に、市は1・2号墳の環境整備工事を行い、史跡公園として保有している。地元でも、桜谷古墳群保存会を結成し、史跡の清掃管理を行っている。

出土品

 桜谷古墳付近から、大正7年に古墳群発見の契機となった、内行花文鏡1面と管玉13個が出土されて以来、数度にわたり貴重な遺物が見つけられ、代表的なもの6種28点が指定されている。石釧3個、紡錘車1個、管玉3個、青琅かん1個、金管3個、小玉17個である。
内行花文鏡 内行花文鏡は、径14cmの金銅製で、鏡背こは8つの円弧が花をめぐらした様に描かれている。この鏡は、現在、東京国立博物館で保管されている。石釧は、紡錘車、青琅かんとともに2号墳後円部から発見された。
 石釧は腕輪として用いられる装身具で、径5.4cm〜8.2cm、厚さ1.2cm〜1.4cmで、淡緑色碧玉製の美しいものである。紡錘車は、糸をつむぐときの速さを調節する器具で、径5.4cm、厚さ9mm、淡緑色碧玉製で完形品である。同心円で4段のくり方をなす。青琅かんは濃緑色の硬玉で径6mm、長さ6cm。管玉は、竹管状の装身具で連ねて首飾りなどにしたもの。径6mm、長さ3cm。小玉は、これを連ねて装身具にするもので、藍色ガラス質。小玉と共に1号墳北隣で耳飾りである金銅環(径2.1cm)が発見されている。これらの他に、2号墳の北からは、金銅製帯金具と鉄鏃が発見されている。帯金具は、皮帯や布帯の飾金具として使用される。この帯金具は、細くて薄い銅板を5cm四方の枠として、その中に唐草文を点対称に型取ったもので、朝鮮の新羅古墳から多く発見される型式である。帯金具の北陸における出土例は極めて少なく貴重な資料である。

【案内】
観覧料 無料、見学自由
加越能バス 辰ノ口下車 徒歩3分 JR雨晴駅下車 徒歩10分

【参考・引用】
・「太田」−歴史と風土−
・高岡の文化財(昭和58年3月1日発行)高岡市教育委員会